先週もさまざまなニュースがありましたが、今日は夏の終わりということで、ヨットの話をしようと思います。
学生時代から東京での社会人時代にかけて、私の生活の中心には常にヨットがありました。二人乗りの小さなディンギー艇ですが、帆を張りさえすれば、風下へも、さらには風上へも進むことができます。風上へはおよそ45度まで登り、進路をジグザグに変えながら航跡を刻んでいきます。
その原理は、単に風に押される力ではありません。傘を差して風に持ち上げられる現象、あるいは飛行機が天空を翔ける原理と同じく、帆を翼のように働かせて生み出される揚力によるものです。この揚力のもたらす力は、単なる風圧の推し進める力とは比べものにならぬほど大きく、ヨットが最速で走るのは、揚力を最大限に使っている時ということです。
一見不思議に聞こえますが、風を真後ろから受ける「追手」のときではなく、風を真横から受け、ブームを大きく横に張り出して進む「アビーム」の瞬間が最速になります。
帆船技術は、5000年前のエジプトのナイル川の葦舟に始まり3000年前に地中海交易で栄えたフェニキア人が確立し、コロンブス、マゼランの大航海時代に更に発展しました。
我々は、古代の人々たちの知恵でセールを操っている、というわけです。
ヨット競技は、決められたマークを回って早くゴールするスポーツです。風・波・潮の流れを読み、船を最適に走らせることが基本ですが、単に速く走るだけでは勝てません。相手に不利な風を与えたり、希望する進路を取らせないように工夫します。ジグザグに走るため、ぶつかる前にはどちらかが道を譲らなければなりません。右舷から風を受ける船に優先権があり、右舷を「スターボード」と呼びます。帆船時代に星を頼りに航行し、その観測小屋が右舷にあったことが由来です。これに対して譲る側は左舷「ポートサイド」で、桟橋を左につける習慣から来ています。ちなみに飛行機も船の一種なので、左側にタラップやボーディングブリッジが設けられています。ちなみにコックピットとかパイロットという単語も船からきています。
この優先ルールはヨットだけでなく、大型船や飛行機にも共通します。右舷には緑、左舷には赤の灯がつけられ、緑が見える船に優先権があります。
さて、ヨットを始めた理由は、ご想像のとおり、不純なものでした。
しかし実は、ヨットマンは格好のいいものではありません。
当時、サーファーは黒のウェットを着て「秋刀魚」と呼ばれ、ヨットマンは厚着をしているので「海乞食」と呼ばれていました。海では天候の急変に備えて夏でも冬支度が基本です。出艇準備の時はTシャツ・短パンですが、いざ海に出るときはウェットスーツにセーター、その上にナビーを重ね、汗だくで船を出します。トイレのない海上で半日過ごすわけですから、なかなか大変です。
ヨットは年間スポーツです。12月に納会をして、2月の試験休みからシーズン開始です。
冬はウェットスーツを海水に浸して、震えながら着込み、その上にセーターとナビ、結構過酷なものでした。
命の危険を感じたことは二度あります。突然の大風に見舞われ、船を失いそうになったこともあります。その時、初めて、命を相方に預けていることを実感しました。寝食を共にするうちに、友人以上、兄弟のような関係になり、信頼や友情を超えた不思議な絆が生まれます。「ヨットは性格を歪にする」と言われていますが、同時にかけがえのない関係ができるとも実感しています。
今でも8人の同期とは時々集まって船を出します。ディンギーは体力的に厳しいので、33フィート艇で、三浦半島から出港します。コロナ禍でしばらく中断していましたが、来年はまた大島へ行こうと話しています。
湾内ではセールを上げながら、エンジン併用で、とろとろ走りますが、湾外に出てエンジンを切ります。世の中の音が一切消え、しゃばしゃばと波を切る音だけが残ります。その一瞬のために船を出す。幸せな瞬間です。
さて本日は、敬愛する学校の先輩であり、ロータリーの先輩である鈴木会員の卓話を伺います。ここしばらく大きな話題となっている「米問題」についてのお話です。今日も充実した例会になることを楽しみにしております。