みなさん、また二週間ぶりの例会となりました。
二週間も間が空くと、世の中の出来事が多すぎて、何からお話しすればよいのか迷ってしまいます。
この間、国内では首班指名、国際的にはパレスチナ情勢の停戦合意が大きなトピックスですかね。
トランプ氏、プーチン氏、ネタニヤフ氏、習近平氏、モディ氏
いずれも民主主義とは逆の方向に向かっており、それが世界的な現象となりつつあるように見えます。
その中で、公明党の決断が、日本の右傾を進めることにならないか、いささか心配ではあります。
さて今日は、大事な報告から始めたいと思います。
10月6日に指名委員会が開催され、来年の副会長に武田岳彦君、来年の会長エレクトに遠藤正明君が指名されました。
来年も素晴らしい年をリードしていただきたいと思います。
また、昨日開催された山形市内7RC親善ゴルフコンペの件ですが、準優勝でした。想像していたより悔しい思いをしたました。
さて、本日のゲストは、2610地区パストガバナーであり、金沢ロータリークラブ会員の松本耕作君です。
聡明、そして誇り高いロータリアンであり、私にとっては三十年来の友人でもあります。
外部ロータリアンをスピーカーとしてお迎えするのは今回で三度目になりますが、締めくくりにふさわしい人です。
今日もきっと素晴らしい例会となることでしょう。
さて、本日の私の話題は「奉仕」についてです。
この言葉、どうもしっくりこない。
二十年以上ロータリアンとして活動してきましたが、いまだに違和感を覚える言葉でもあります。
“service”を奉仕と訳したのですが、serviceは、「仕える」「役に立つ」「公のために尽くす」といった広い意味をもつ一方で、日本語では「勤労奉仕」「滅私奉公」といった上意下達的な響きを伴います。
大正時代の東京ロータリークラブ設立趣意書には、「職業を通じて社会に奉仕する」との記載があります。
アメリカ生活の長い米山梅吉翁が、“service”の対訳として「奉仕」を採用したのでしょう。
さて、江戸時代の末から明治初期にかけて、福澤諭吉先生、西周先生ら、当時の知識の巨人たちが、西洋の概念を日本語に翻訳しました。
おかげで、日本語で高等教育を行う基盤が整い、植民地化のリスクがなくなったわけですが、私たちが今使っている多くの抽象語がこの時期に生まれました。
たとえば、
自由(liberty)、権利(right)、社会(society)、科学(science)、哲学(philosophy)、経済(economy)、政治(politics)、宗教(religion)、道徳(morality)、教育(education)などです。
福澤先生は『学問のすゝめ』の中で
「国家・社会に尽くすこと」「公のために力を尽くす」「人のために働く」という近代的倫理を説いていますが、serviceの対訳を作ることはありませんでした。
「奉仕」という単語は、実は奈良時代の『職日本紀』にすでに見られます。
もともとは「神や天皇に仕えること」を意味し、のちに主君への忠勤を指すようになりました。
長い間「上位者に仕える行為」として使われてきたのです。
それが明治の初め、キリスト教宣教師によって「service」 の対訳として「奉仕の精神」という語が広まり、ようやく「公共への献身」という概念が加わりました。
その後、ロータリーの世界では、1920年代の大きな運動として、
「Service Above Self」、(超我の奉仕)と
「He profits most who serves best.」、(最もよく奉仕する者が最も多く報いられる)という理念が定着しました。
これこそが、ロータリーが掲げる奉仕の本質だと思います。
新しい日本語を作った場合には違和感はありませんが、古くからある日本語を外来語の対訳として使ったので、もとの意味が影のように残り、心のどこかで引っかかりを覚える。
二十数年のロータリー活動を経て私がようやく気づき、ようやく見えてきた景色をお話しすることができました。
「奉仕」という言葉を他の語に置き換えることはロータリーのルール上、できません。
ですが、心の中で少し視点を変えることはできます。
「地域や社会のために役立つことを真剣に考え、仲間とともに実行していくこと」。
それこそが私たちの奉仕であり、「社会をより良くするための共創の営み」といえも言えると私は思います。
本日も素晴らしい講師をお迎えし、学びの多い例会となると思います。
ご出席の皆さまに、心より感謝と歓迎を申し上げます。
ありがとうございました。